本当の本質

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本質とか、原理や原則、変わらないものというか根本的なものなんて、一生かけたって見つけられない。
これだけ、インターネットが発展したって、AIが賢くなったって『本質』なんて見つからない。
にもかかわらず、みんな、平気で本質という言葉を使う。

よく「この問題の本質ではない」とか「モノゴトの本質を捉えろ(考えろ)」なんて聞くけど、簡単に本質なんて見つかるわけがない。

本質を見つけるために複雑な事象を単純化し、抽象化し、枝葉をそぎ落とし、自分が理解できるようにする。でも、そんな行為をしても得られるのは「理解」ではなく「誤解」だったりする。

そんな哲学的なことを言いたいわけじゃないんだけど、モノゴトは思っているより混沌としていて、単純化をすることが難しい。
そもそも「本質以外のものをそぎ落とし単純化したつもりで、大切な部分をごっそりと切り捨ててしまう」なんてこともある。

本質とは

本質とは、モノゴトの「欠くことのできない、もっとも大事な根本的な性質・要素」だそうだ。

因果関係が比較的明確な問題は、本質というか、急所を見つけるのは比較的簡単に行える。ただ問題なのは、世の中のモノゴトはカオスでスペクタクルで簡単に理解できないことだ。
その複雑で混沌としたことを単純化、抽象化することが難しい。

本当の本質という言葉が正しいのかはわからない。でも、本当の本質は見るひと、考えるひとの価値観によって変わってしまう。
モノゴトの本質を見極めるには、自分が理解できるまで単純化し、抽象化する必要がある。ある人は、必要ないと考え、削ぎ落としたことが本質なのかもしれない。

そして、声の大きい人、立場が上の人から「これが本質」と断言されると多くのひとは、そこで思考停止に陥ってしまう。

変化しないもの

本質とは、もっとも大切で根本的な性質であるので、本来なら「変わらないもの」でないといけない。
にもかかわらず、なかなか本質や原理原則というのを理解している人が少ない。それは人間は『欲望』と『感情』で生きているからだ。

どうしても、自分の立場から見てたものしか、考えられない。

例えば、個人にとっての「仕事の本質(欠くことのできないもっとも大事な基本的な性質・要素)」を問われれば、「稼ぐため」「生きるため」「我慢すること」など千差万別の答えが返ってくるだろう。
それは各個人が考えたことなので、誰も否定ができない。ある意味『その人にとっての』仕事の本質だ。

例えば、僕が「これが本質だ」と言ったとき、人々が納得し認めるのは、本質について共通理解ができた訳ではない。ただ単に「利害」が一致しただけだ。
お互いに理解をしたわけではなく、お互いに「都合の良い共通誤解」が得られただけだ。

本質が考えを止める

そしてお互いの利害が一致した人間同士の共通誤解は思考を止める。
一度、本質だと思ったことは「それが正しい」と思い込んでしまう。それは本人たちだけではなく、周りの人間を巻き込んで、大きな勘違いが生まれる。

例えば、会社などの組織では社外の人間から見たらあり得ないことが、まかり通っている。
誰が見ても、パワハラな言動も、ブラックな習慣も全て共通誤解から生まれ、考えを止めてしまったから、そのままになっている。

新入社員が気づいたとしても「その会社の本質」を否定することは難しい。その問題の本質が会社全体の価値観にあれば、指摘をすることは難しく、仮に本質を指摘する勇気があったとしても反対に否定されて終わる。

本質を見極めたいと思うなら他人の視点なんて関係ない。自分本位で本質を見極める必要がある。そして、自分視点での本質が理解できたら、より鳥の目、大きな視点でモノゴトを見ると新しい本質が見えてくるのではないだろうか。

モノゴトの本質は、神の目で見なければ分からない。

いつか、僕も『神の目』が持てると嬉しい。

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