昔のことを思い出すのは、今の生活がつまらないからなんだね

生き方・考え方
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このブログを書き始めて、やけに昔のことを思い出すようになった。

なんか、年くった親父みたいでカッコ悪いけど、ちょっと付き合って欲しい。

別に今の生活に不満がある訳でじゃない。不満がないって言うと嘘だけど、なんて言うか不満とか不安をぶち撒ける勢いとか、若さって言うか、そんなモノがなくなってきた。

書いている僕も訳が分からないんだけど、世の中的に「これやっちゃダメだ」とかアツい想いだけじゃ、どうにももならないってことが多いってことに気づかされた。思い通りにならないことを諦めるようになった。モノゴトの分別が付くようになってきたって言うか、まあ、年くったんだと思う。

でも、根本にあるモノは変わらなくて、僕が僕らしく生きるためには失くしちゃいけないと思っている。本当は不器用で、いつも不安なんだけど、世の中的と上手くやっていくために妥協している。

なんか、本当に面倒くせー親父。なんだけどさ。なんて言うの?

あの頃みたいに生きる原動力にしたい。

僕らの生きた時代

僕ら、40代が生きていた時代って、ほんの20年前、90年代後半から2000年代初めの頃って、すげ〜マナーとか、頭とか悪った。生きた時代なんて言ってるけど、一番輝いていた青春時代。

意見が合わなければ、腹が立てば殴り合い、金が欲しけりゃカツアゲとか、親父狩りとか、それこそ歩きタバコなんて普通で、周りを威嚇しながら歩く若者だらけだった。

今の方が100倍安全だし、便利だし、生きやすいと思う。僕なんてヘタレだったんで、怖いカラーギャングから逃げ回っていたしね。

すげ〜面倒くさい時代。でも今考えると生きていた。生きるために、ガムシャラだった。あの気持ちはどこに行ったんだろう。

クソみたいだけど、必死だった

2000年前後、20代だったんだけど、本当に必死に生きていたと思う。僕は社会人になったんだけど、会社に馴染めず、いつも苛立っていた。女子たちの前ではおチャラけていたけど、何も思い通りにならないで、本当にイライラしていた。

自分の器の小ささを隠すために、必死に肩ひじを張り、大きく見せようと背伸びをして必死に生きていた。金が欲しい、女が欲しい、名誉が欲しい、尊敬されたい。欲望まみれで生きていた。

いつか、手に入れてやるなんて思い、手段も知らないのに必死にもがいていた。いつの間にか、必死に求めるのがカッコ悪いって言うか、ラクに生きることに慣れたって言うか、なんか、そんな感じ。

40代だって不安だ

40歳だって不安だよ。このまま会社に勤められるのか、ってか、会社が存続するのかだって分かんないし、息子たちの将来だって不安だし、ジジババのことだってある。それに自分自身の健康だって気になる。

でも、そんなのを隠してながら、折り合いをつけて生きているんだよね。20代のときは、不安や不満って原動力だったんだよね。なんて言うの、カッコ悪く、もがいて見つけられない何かを求めていたっているか、必死だったんだよ。どうすれば良いのか分からなくて、でも止まる訳にはいかず、走り続けていた。仕事も何をして良いのかも分からずにね。

40代になって不満があっても隠して、不安だからって何もしないで守りに入って、何が楽しいだろうなんて、最近よく思う。

なんでだろうね。不安だから、行動していたのに、いつの間にか不安なのに何もしないとか、不満があっても目をつぶるとか、それが大人になるってことなのかもしれないけど、なんか違うんだよ。僕の中で。

まだまだ若いじゃん。人生100年時代なんて話もちらほら聞くようになったけど、まだまだ人生折り返し地点じゃん。もっと頑張りたい。頑張れるはず。結局さ、昔話が多いってことは、それだけ、つまんない生活を送っているんだよ。きっと。

他人からは、好き勝手やって楽しそうなんて言われて、良い気になっていたんだよな。全然、楽しい人生じゃなかったんだよ。ここ10年くらい。なので、もっと楽しめるように頑張る。

頑張ろうよ。中年だって人生楽しめるよ。

ではでは。

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