本音と建前を使いこなすのが大人

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本音と建前を使い分けることは摩擦のない生活を送るために必要です。

僕は建前を使いこなすのが苦手。苦手だから、空気が読めないとか、変わっているなんて言われる。

社会人なら、本音と建前を使いこなす技術は持っていた方が良い。

学生とは違って社会人はみんな、本音と建前をちゃんと使い分けている。

本音を話せるのは、信頼した仲間だけだと思う。社会人にはなるとそんな関係なんてなくなる。そして、本音を語ることがなく、建前だけで生きるようになる。

大抵の人は建前でしか話さない。

いつから建前を話すようになるか

建前があるってことに気づくのって社会人になってからだと思う。

本音むき出しで、好き嫌いとか、やりたくないなんて子供じみた発言をしていると「アホな大人」と言われるから建前で語ることを覚える。

頭が良いって言うか、言い方が悪いんだけど世渡りが上手いヒトって、周りと上手くやるためにはどうすれば良いか、なんとなく空気を読んだ発言をする。

それって小学生でも、空気を読む能力が高い子供でも、分かることなんだよね。僕からすると子供らしくないつまらない子供だけどそんな子供もいる。

僕が建前で話すことを覚えのは、嫌われたくないなんて気を使わないといけない年上の女性と付き合っていたからだと思う。

嫌われたくないから本音では話さない。相手に合わせるなんてことをしていた。

いつも気を使っていたので、疲れちゃって別れたけど。

それまでは本音で走る仲間しかいなかった。

好き嫌いが激しく、建前で話す必要がある人とは話さないで良い環境を作っていたので、ずっと本音で生きてきた。

キャラもあったと思うけど、ずっと子供のまんまで、建前を使わず、生きてきた。

社会に出て「本音」を話すとバカ

大人になると本音で話す人が少なくなる。本音で話すと「余計なことは言うな」とか「理屈は良い」なんて完膚なきまで叩かれる。

しまいには「顔に出ている」とか「分かりやすい性格」「単純」なんて、会話に関係ないことまでダメ出しされる。

子供時代とは違って人間関係と違って、価値観が違う人ともコミュニケーションを取らないとイケなくなる。

そうすると場の雰囲気を考え、空気を読んだ発言が求められる。周りは上手く建前を使っていて、僕は混乱しっぱなしだった。

もちろん、建前で話すことも覚えたんだけど、誤魔化すのが、面倒くさい。何でも思ったことをポンポン話す。

仕事でも何でもやりたくないことは、やりたくないとはっきり言ってしまう。

それでも、親年代の人たち、女子社員は僕が本音で話しても仲良くしてくれた。バカな僕の言動や行動を温かく大きな愛で包んでくれてたんだと思う。

僕も若い人たちが本音で接してくれると可愛がりたくなるしね。

建前が使えなかったから同僚や上司とは無駄に摩擦も生んだし、評価も低かったと思う。

社会人になって本音で生きるのってバカなんだよね。当時は知らなかった。今では、本音を話さない付き合い方を覚えたけど、毎日葛藤していたよ。

本音と建前にビビる

社会人になってビックリしたのが、いつも仲良く話していた人たちが、その場にいない人のことを「クソ野郎」とか「あのアホ」なんて言っていて驚愕した。

「いやいやいやっ、いつも仲良くしてんじゃん?」って。なんで普段、仲良くしてるのかが理解できなかった。

僕は好き嫌いが態度に出るから嫌いな人は寄ってこないし、僕は嫌いな人には寄って行かないので、なんか、そんな汚い(?)人間関係があることにビックリした記憶がある。

ヒトとしては、露骨に嫌な顔をしたり、「寄ってくんな」なんて言うのはどうかと思うんだけど、全員に好かれたい訳じゃないし、面倒くさい奴は寄ってきて欲しくない。

ひとりで生きている訳じゃないから、周りと無駄に摩擦を生む必要はない。言いたいことを言わないで生きるのが社会なんだよね。

それに気づくまでは、本当にしんどかった。

本音なんて必要ない

社会に出て気づいたのは、会社で本音なんて必要ないってこと。建前だけで生きていれば良い。

自分語りなんて必要ないんです。寂しい世の中だけど、それが現実。

本音で生きているとアツ苦しいなんて思われる。

なので、社会で生きて行くためには、本音を封印して、建前で生きて行くことが必要

それが大人としての生き方。

納得できないことでも、納得したふりをして、聞き分けの良い大人にならないと生きて行けない。

海外は知らないけど、日本の社会は、みんな空気を読んで、その場にあった建前を話すことで平和な社会が成り立っているんです。

言いたいことを我慢して、会社の歯車としてまわることが求められているんだよ。

本音を語って目立つ必要なんてなくて、今あるルールから外れないように建前で生きて行けば良い。

自分だけが我慢すれば、社会は上手く回る。

本音をさらけ出す危険性

本音をさらけ出すのって勇気がいる。なんでかと言うと、本音を否定されるのって、それまでの生き方を否定される気がするからなんだよね。

価値観って言うのか、考え方を否定されると人間、コレってないくらい凹む。

自分が正しいなんて信じきれれば、良いんだけど、そこまで人間強くなれない。だから、本音を否定されたくない。

自分が間違ってなくて、否定してくる人が間違っていたとしてもね。

自分が聖人君子じゃないって言うのを分かっているから「もしかして自分の言っていることは間違っているんじゃないか」ってどこかで疑っている。

だから、本音を否定されることが怖い。

本音を話さないようになる

これが成長なのかは分からないけど、人生経験が豊富になってくれば、なるほど本音を話す必要がないことに気づいていく。

本音で話しても、あまり意味がないって言うか、ムダな摩擦を生んで争うのって疲れるじゃん。だから、建前で話すようになる。

僕は建前で生きることができない、もしかしたら社会不適合者なのかもしれない。

それを知っているから、会社では発言しないように心がけていようになった。

他人が語っているときは、自分語りはしない。聞き役に徹する。もちろん、意見を求められれば答える。

譲れないことは譲らないけど、会社で譲れないことなんてほとんどない。だから、芯がないと思われようが、関係ないから自分の本音を隠して、建前だけでうなずく。

本音を出す割合と居心地の良さ

本音と言うか、本当の自分をさらけ出す割合が大きければ大きいほど、居心地は良くなる。

何をしても良いって訳じゃないけど、気を使わなくても良い仲ってお互いが本音で接しているからだと思うんだよね。そんな仲間がいるのって本当に幸せ。

僕は空気を読まない方だけど、それでも会社では本音を出す割合は2割ぐらいだと思う。建前の方が多い。

なので仕事上の付き合いの人なんて仲良くならない。プライベートで8割も建前を使わないといけないなんて冗談じゃない。

どうしても本音で付き合うと摩擦が生まれるし、その摩擦は会社とか、仕事では大きなデメリットになってしまう。本気で思っていることを話でも、何も変わらない、バカにされると言うことを経験上、学んだんで僕は仲良くない人とは本音で付き合わない。

このブログもそうだけど、100%本音で語るなんてことは周りに人がいる限りできない。

このブログは本音:建前が、8:2くらいで本音の比率が高い。僕は匿名でブログをしているので、リアルの世界では言えないことも、このブログでは書いている。

それでも2割くらいは建前がある。

家族や仲間の前では本音を出しているよ。それでも95%くらい、残り5%の建前は親しき中にも礼儀ありじゃないけど、気を使うことが必要だと思っている。

本音と建前の狭間で生きる

なんだかんだと書きなぐっているけど、本音の割合を大きくすることで居心地が良い環境になると思う。

それって難しいんです。僕はそれに気づくまで、本当に葛藤した。

なんで「僕の言っていることが分からないの?」とか「言いたいことがあるなら言えよ」なんて思っていたんだけど、本音を言わないのが、社会の常識なんだと思う。

納得はしないけど、そんなもんなんだよね。結局、誰も「本音」なんて聞きたくないし、本音をむき出しにして生きることって社会との折り合いをつけられなくて、悩んでしまう。

それなら、自分が望まないことでも、それを肯定することで、結果が良くなると思うなら妥協するしかない。

「ガキじゃねーんだし」

でも、僕は本音で生きて行きたいな。例え人間関係に摩擦が起きても。

ではでは。

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