「ファンタジスタ」に憧れる

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ちょっと古い話ですが、サッカーのイタリア代表に「ロベルト・バッジョ」と言う人がいました。バッジョはファンタジスタと呼ばれるプレーヤーで現代サッカーでは絶滅危惧種なんですが、そんなファンタジスタに憧れます。

現代のサッカーでファンタジスタが生き残るのは難しい。ファンタジスタを簡単に説明すると閃きや創造性が豊かで予想外のプレーをするサッカー選手。

ファンタジスタは統制を取ろうとする現代サッカーでは扱いが難しいので必要とされません。サッカーだけでなく社会でも閃きや想像力がある人間は必要とされていません。でも僕は「ファンタジスタ」に憧れる。

ファンタジスタ論

ファンタジスタとは、バッジョのために生まれた言葉だと思う。サッカーの上手い選手はたくさんいますが、ファンタジスタと呼ばれる選手って多くありません。ファンタジスタと呼ばれる選手は、上手いだけではなく観客を魅了しないといけません。

ファンタジスタって、この人がフィールドに立ったら「何かが起きる」って期待が持てる選手なんです。バッジョはインタビューで「一番難しいプレーを選択する」と言っていました。僕なりの解釈だけど、みんなが思っているプレーをしていると相手にも対応をされてしまうので、誰にも想像できないプレーを閃きと創造性で作り出すのがファンタジスタってこと。

「普通」じゃダメなんです。普通じゃないこと、規格外のことを閃きと創造性で行い、観ている人を魅了しないとファンタジスタではありません。

ファンタジスタが終わった原因

なんか寂しいのですが、ファンタジスタが淘汰された原因はサッカーの発展だと思います。ファンタジスタの役割はどちらかと言うとチャンスメイクに比重がかけられていたんだと思います。ゴールを奪うことも求められていましたが、閃きや創造性で一瞬にして相手の陣形を切り裂くことが求められていました。

今はちゃんとしたプレーの分析、理論が確立され、その理論を実践できるスキルがある選手が活躍するようになりました。現代サッカーは、攻守の切り替えが素早く、フォワード(点を取る役目の選手)にも、ハードワークによる守備を求めるようになりました。ファンタジスタが活躍した90年代は、現代サッカー(分析、理論を重視するサッカー)への過渡期でした。

そして理論が広まってくるとファンタジスタの居場所はなくなってしまいました。激しいプレッシングの中では閃きと創造性を生かせる時間と空間が減ってしまった。それに加えて組織的に守備を行うことを求められるようになりました。ファンタジスタは、どちらかと言うとフィジカルが大事なサッカーで、足りないフィジカルを閃きや創造性、技術でカバーをしていた選手が多かったのですが、現代サッカーのハードワークについて行けず、姿を消してしまいました。

社会でも同じことが起きている

ここからは実社会の話なんですが、統計だったり、理論が発展すると閃きや創造性が豊かな人が活躍することが難しくなってしまいます。会社の経営も統計や確率などの理論、ビジネスロジックが優位に立ってしまいます。僕も経験上、分かるんです。その方が成功する確率は高くなります。

でも、何かを変えるときって理論じゃないんだと思うんです。理論騒然としていると着実に改善はされるかも知れません。失敗も少ないと思います。でも何かを大きく変わるときって、創造性とか閃きが必要なんじゃないでしょうか。

なんとなく現代の社会で将来に夢が持てないのって「理論上、こうなるよね」って限界が見えてしまっているからだと思います。劇的に何かが変わる予感がしない。大きな話に感じるかも知れないけど、もっと小さいところでいえば、会社の組織だって大きくは変わらない。劇的に変えるためには創造性とか閃きが必要。バッジョじゃないけど、誰にも想像できないことを考えないと大きくは変わらないと思うんです。

失敗をするかも知れません。でも思ったことを実行できるスキルを磨けば良い訳であって、失敗を恐れて無難な行動をする必要なんてありません。勝てなくて叩かれるのもファンタジスタの宿命なんですよ。そのプレッシャーを楽しめるファンタジスタになりたい。

ではでは。

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